2014年10月7日火曜日

ツタンカーメン(前1342?~前1323?)



権力も弱ければ体も弱い。「最も弱いファラオ」は
後世「最も有名なファラオ」になった

前1342? 生まれる
前1333? 新王国のファラオとなる
前1323? 死亡

◇出生
このツタンカーメンという人物の父はアメンホテプ4世という人物ですが、母はアメンホテプ4世の妹です。兄妹で結婚したことになりますので、アメンホテプ4世は父であり、叔父でもあるということです。さらに言えば、ツタンカーメンの妻、アンセケナーメンもアメンホテプ4世の子です。ツタンカーメンにとっては異母兄妹にあたります。父アメンホテプ4世は「父であり、叔父であり、義父でもある」という、現代ではありえないぐらいの血の濃い親ということになります。

◇「体の弱い」王
そのように血が濃い関係というのは、体の弱い、先天的に異常のある子が生まれる確率も高くなります。このツタンカーメンも体が弱く、足が不自由だったということがわかっています。彼の墓から出土した杖は130本ほどありますが、いずれも先がすり減り、実際に用いられたことが推測されます。

◇「権力の弱い」王
このツタンカーメンは父アメンホテプ4世の政策を否定するため、神官たちにかつがれ即位しました。父アメンホテプ4世は「アトン神」という神様だけを信じるように、国民に強制し、人々の心を一新するように新しい都に遷都しました。この宗教政策や遷都に反対したのが、もとの都で、「アメン神」という神に仕える神官でした。自分たちの神が否定されたわけですからね。

◇死因
ある意味神官たちの操り人形のような王だったのですが、王としての最低限のつとめは果たしていたようです。攻撃してきたヒッタイトを撃退したり、南のヌビアに遠征したりと、戦場に姿をみせることも多くあったようです。死因にはいくつもの説がありますが、ツタンカーメンのミイラには足の骨が折れた跡があります。大腿骨が縦に割れているということですので、相当にひどい傷だったようです。この傷は現在ではバイク事故などに見られるようですので、馬のひく戦車から落ちたのかもしれません。

◇「もっとも有名なファラオ」
このように、権力も体も弱い王ですが、彼の墓も小規模で、ひっそりとしたものとなりました。王家の谷には60以上の墓がありましたが、他の墓は全て盗掘にあっていました。「最も弱い」ファラオだったために、墓が見つかりにくく、盗掘をまぬがれたため、あの黄金のマスクで知られる、「もっとも有名なファラオ」となったのです。



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