2014年10月7日火曜日

アレクサンドロス大王(前356~前323)



戦場に恵まれ、勝利を重ねた「英雄の中の英雄」

前356 生まれる(父:マケドニア王フィリッポス2世)
前338 カイロネイアの戦いで初陣
前336 マケドニア王位につく
前334 東方遠征に出発
前332 イッソスの戦い
前331 ガウガメラの戦い
前330 アケメネス朝ペルシアを滅ぼす
前326 東進の限界撤退を開始
前323 バビロンで死亡

◇20歳でギリシアの覇者に
「アレクサンドロス大王」の名を知っていても、その国、「マケドニア」という国名はあまり聞いたことがないかもしれません。ギリシアといえばアテネやスパルタなどが有名なのですが、これらのポリスより北の、いわば田舎の国がマケドニアだったのです。父のフィリッポス2世はこうしたギリシア世界が互いに争い、混乱しているスキにつけこんで、ギリシアの覇者となりました。しかし、フィリッポス2世は何者かに暗殺されてしまい、アレクサンドロスは20歳の若さでギリシアの覇者となったのです。

◇東方遠征
ギリシアの覇者となったアレクサンドロスですが、その2年後に国を出たまま、死ぬまでギリシアには戻ってきませんでした。東方の強国、アケメネス朝ペルシアを倒すための長い遠征に出たからです。

◇戦場に恵まれた王
当時、ペルシアといえばオリエントの大国で、アレクサンドロスの領地は比較にならないほど小さく、兵力でいえば圧倒的な不利さがありました。兵力が圧倒的に有利なペルシア軍は、戦いの場に会戦向きの広大な土地を選ぶことが多くありました。少数のアレクサンドロスは戦場が広ければ広いほど不利なはずですが、騎兵と重装歩兵の密集陣形の組み合わせという戦術で、重装歩兵が攻勢を持ちこたえている間に騎兵が大きく展開して敵の虚をつくという新戦術で勝ちをおさめていきます。この戦術では広大な戦場が有利に働いたのです。

◇ペルシアの滅亡、東進の限界
こうして宿敵ペルシアを破ったアレクサンドロスはペルシアの首都、ペルセポリスに入り、徹底した破壊を繰り広げました。このあたりがアレクサンドロスの評価を下げているところでもあるのですが。ペルシアを滅ぼしたことに飽き足らず、アレクサンドロスはさらに東、インドの地をめざします。
しかし、長きにわたる遠征で兵も疲れている上に、インドの地は密林が茂り、得意の騎馬の機動と重装歩兵の組み合わせが使えません。森の中では馬の脚が止まり、長い槍はかえって邪魔になるからです。ここにアレクサンドロスの東進は止まり、アレクサンドロスは引き返す途上のバビロンで死に、ギリシアの地に帰ることはありませんでした。

◇英雄の中の英雄
英雄と言われた人物は数多くいますが、その多くがアレクサンドロスのような広い戦場での会戦に勝利しています。チンギス=ハンやナポレオンなども会戦向きの人物のようです。やはりアレクサンドロスは「広大な戦場で、圧倒的多数の相手と戦って勝つ」英雄の中の英雄と言えるでしょう。





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