2014年10月8日水曜日

フリードリヒ2世(1712~1786)


何でもできる啓蒙専制君主
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1712 生まれる(父:フリードリヒ=ヴィルヘルム1世)
1730 逃亡事件により幽閉される
1740 プロイセン王として即位
    オーストリア継承戦争勃発
1745 オーストリア継承戦争に勝利
    サン=スーシ宮殿建造
1756 七年戦争
1772 ポーランド分割

◇父との確執
「大王」の名で知られるフリードリヒ2世、後世、戦えば必ず勝つ軍事の天才となるのですが、若いときのフリードリヒ2世は文学青年、音楽青年でした。特に趣味としたのはフルート。演奏会を開くほどの腕前で、フリードリヒ2世作曲のフルート協奏曲が今でもアマゾンで購入できるほど。しかし、父は「軍隊王」というニックネームをもらった軍人気質のフリードリヒ=ヴィルヘルム1世。そんな「軟弱者」の息子に我慢なりません。音楽や文学に熱をあげるフリードリヒを見ると怒り狂い、杖で打ちすえるなどの暴力を加え、食事を与えない、蔵書を取り上げるなど、ひどい仕打ちをしたのでした。

◇逃亡事件
フリードリヒ18歳の時、この境遇に耐え切れず、国外逃亡を図るのですが、計画が事前に漏れ、その日のうちに連れ戻されるのです。とある要塞にフリードリヒは幽閉されてしまいます。皇太子であるフリードリヒでこの罰をうけたのですから、逃亡を手引きした家臣の一人はフリードリヒの目の前で処刑されてしまいます。

◇即位とオーストリア継承戦争
その後は父の意に沿い、軍務をこなし実績を積みます。そして父の死により即位したのですが、啓蒙思想家たちをブレーンに招き、「啓蒙専制君主」の一人として、さまざまな改革を行います。隣国オーストリアでは先代の王が亡くなり、女帝マリア=テレジアが即位したことから、オーストリアに侵攻し、オーストリア継承戦争がはじまります。勝利したものの、オーストリアは再び七年戦争を挑んできたことから、フリードリヒ2世は戦争に明け暮れることとなります。オーストリア・ロシア・フランスなどの諸国と戦い、自身の上着も撃ち抜かれて自殺を覚悟するほどの苦戦でしたが、なんとか勝利をおさめました。縁談もあったとされるマリア=テレジアは生涯のライバルでした。

◇サン=スーシ宮殿と音楽
そんなフリードリヒ2世の癒しの場所はサン=スーシ宮殿。10部屋ほどの平屋の宮殿ですが、その中央には「音楽室」があり、ここで音楽と社交のくつろいだ時間を過ごしました。作曲家フリードリヒとしての作品数は膨大で、フルートソナタだけでも121曲も作曲をしています。フリードリヒ2世はプロイセンを強大化させ、戦えば勝ち、芸術的才能にもあふれる、「なんでもできる王」でした。





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